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CTFは本当に「死んだ」のか? AI時代に崩れ始めた競技セキュリティの現実

記事のキーポイント

そもそもCTFって何?

CTFは Capture The Flag の略で、サイバーセキュリティの問題を解いて「flag」と呼ばれる答えを取る競技です。
たとえば、暗号、Web、pwn(メモリ破壊系の攻撃)、リバースエンジニアリング(プログラム解析)など、いろんな分野の問題が出ます。

ざっくり言うと、​セキュリティ版の謎解き大会 です。
しかもただの遊びではなく、実力の証明としてもかなり重宝されてきました。
「この人、CTFで強いならセキュリティの素養があるよね」という見方が、長くコミュニティの中で機能していたわけです。

この記事の著者 Kabir 氏は、2021年にCTFを始めてから、国内外の強豪チームで活躍してきた人物です。
つまり、外から雑に「最近の若者は〜」と言っているのではなく、​中のトップ層にいた人が、実体験をもとに『もう昔のCTFとは違う』と訴えている のがポイントです。ここはかなり重い話だと思います。

何が起きたのか:AIが問題を「解けてしまう」

記事の中心的な主張はシンプルです。

frontier AI が強くなりすぎて、オープンなCTFのスコアボードが、人間の実力をきれいに測れなくなった

ここでいう frontier AI は、ChatGPTやClaudeのような最先端の大規模言語モデル(LLM)のことです。
LLMは、文章を作るだけでなく、コードを書いたり、手順を考えたり、問題を分解したりするのが得意になってきました。

著者によると、最初は「中級の問題がたまに解ける」くらいだったのが、Claude Opus 4.5 や GPT-5.5 世代になると状況がかなり変わったそうです。
中級問題の多く、さらに一部の難問まで、​人間がほとんど手を動かさなくても解けてしまう ようになった、と述べています。

これ、CTFの本質からするとかなり大きいです。
CTFって本来は「どれだけ自力で考え、試し、失敗し、理解したか」が面白さの核でした。
でも AI が問題文を見て、方針を立て、コードまで書いてくれるなら、プレイヤーがやることは「プロンプトを書く」「結果を貼る」になりがちです。
正直、これは競技としてはかなり味気ない。私もここはかなり納得感がありました。

ただの“便利ツール”では済まなくなった

記事では、「AIは昔から補助ツールとして使われてきた。でも今回はレベルが違う」と言っています。

たしかに、CTFでツールを使うこと自体は珍しくありません。
むしろ、検索、デバッガ、Pythonスクリプト、pwntools など、​ツールを賢く使うのも実力のうち でした。

でも今起きているのは、「人間が考えて、AIがちょっと助ける」ではなく、
AIが考えて、AIが解いて、人間はフラグをコピペするだけ になっているケースが増えている、という話です。

ここが重要です。
ツールの補助と、思考の代行は全然違います。
前者は人間の技術を底上げするけれど、後者は人間の学習機会を奪いやすい。
著者はまさにその境界線を超えた、と見ているわけです。

スコアボードが「人間の順位表」じゃなくなる

CTFにはたいていスコアボードがあります。
誰が何問解いたか、どのチームが上位か、というランキングです。

著者が強く問題視しているのは、このスコアボードがもう 人間の実力だけを反映していない ことです。
AIをどれだけ回せるか、何台のエージェントを動かせるか、どれだけ早く自動化できるか――そういう要素が混ざり込む。

つまり、競技の本質が少しずつ変わってしまう。
もはや「誰が一番セキュリティに強いか」ではなく、
​「誰が一番うまくAIをオーケストレーションできるか」​ になっている、と著者は言いたいわけです。

「オーケストレーション」は、複数のツールやAIをまとめて動かすことです。
たとえば、問題が配布されたら自動でAIに投げ、進捗を見て別のモデルを使い、残った問題だけ人間が見る――そんな流れを組むことです。
これが普通にできると、チームの強さはかなり変わります。
個人的には、ここまで来ると「競技」より「運用」に近いな、と思います。

初心者には優しいどころか、むしろ悪影響もある

「でも初心者は今まで通り学べばいいのでは?」
これに対して著者はかなりはっきり反論しています。

CTFは単なる問題集ではなく、​上達の階段 だった。
最初は1問も解けなくても、少しずつ解けるようになり、順位が上がり、チームに入り、もっと難しい大会に挑戦していく。
この「成長が見える仕組み」がCTFの魅力だった、というわけです。

ところが、AIがスコアボードを埋め尽くすと、初心者はこう感じやすい。

この流れ、かなりまずいです。
著者はこれを anti-pattern​(うまくいかない悪い設計)だと言っています。
私もここはかなり同意です。
初心者が「考える前にAIに聞く」癖を最初から持つと、実力の土台が育ちにくい。便利だけど、学習の場としては少し危うい。そんな感じです。

「CTFは死んでない」は、ちょっと論点がずれている

記事では、「CTFは死んでない、AIで拡張されただけ」という反論にも触れています。
ただ著者は、それは本質を外していると言います。

なぜなら、確かに最上位の決勝戦では AI でも解けない問題が残るかもしれない。
でも、​多くの人が実際に遊んでいるのはオープンなオンラインCTFや予選 です。
そこで上位がAIに占められるなら、競技の土台そのものが変わってしまう。

これは面白い指摘です。
「最難関は残っている」ことは、全体の健全性を保証しません。
むしろ、入口の予選が崩れると、上に進む人の質や数が変わってしまう。
結果として、競技コミュニティの空気そのものが薄くなるんですよね。

AIはセキュリティ研究に役立つ。でも競技とは別問題

著者は、AIがセキュリティ研究に役立つこと自体は否定していません。
これは大事です。
「AIが悪」と言っているわけではないんです。

むしろ、AIは解析、コード生成、補助的な調査で役に立つ場面がたくさんあります。
ただし、それは 研究や実務の補助 として有用なのであって、
競技としてのCTFにそのまま持ち込むと、ゲーム性が壊れる という主張です。

チェスの例えも出てきます。
チェスでは、エンジン(強力な解析ソフト)は対局中に使ってはいけません。
使うのは分析や練習のときです。
もし対局中に全員がエンジンを自由に使えたら、それはもうチェスらしい競争ではないでしょう。

この比喩はかなりわかりやすいです。
CTFも同じで、AIは周辺の学習には役立つけれど、​試合本番で自由に使うと競技の意味が薄れる というわけです。

主催者はどうにもならないのか

著者は、CTF主催者がAI対策をしていないわけではないと認めています。
たとえば、

こういう対策はあるけれど、著者の目には どれも一時しのぎ に見えています。

しかも、AI対策を強めるほど、問題が人間にとっても不自然になる。
つまり、

これは主催者としてかなりつらいジレンマです。
「AIに強くしたい」ほど「人間に優しくなくなる」。
この構造は、たしかにかなり厄介だと思います。

著者の結論:オープンCTFの時代は終わった

記事の言い方はかなり強烈です。
「The CTF scene is dead」――CTFシーンは死んだ、というタイトル通りです。

ただし、これは「CTFという言葉が完全に消える」という意味ではありません。
著者が言いたいのは、​昔の意味でのオープンなオンラインCTFは、もう以前のようには機能しない ということです。

この4つが揃うと、たしかに「競技としてのCTF」はかなり苦しいです。
個人的には、ここまで言い切るのは強いけれど、完全な誇張とも言いにくいと思います。
少なくとも、昔と同じ感覚で「CTFの順位=人間の強さ」とは言いづらくなっているのは確かでしょう。

では、初心者や学びたい人はどうすればいいのか

著者は、初心者には picoGym や HackTheBox のような学習用環境 を勧めています。
これらは、競争よりも教育が主目的です。

この選び方はかなり筋がいいと思います。
なぜなら、学習用環境では

からです。

要するに、​CTFの“勝ち負け”を追うより、まずは“理解する場”へ移ったほうがいい という提案です。
これは少し寂しいけれど、現実的ではあります。

それでもCTF文化が無意味になったわけではない

この記事が面白いのは、かなり厳しいことを言いながらも、CTF文化そのものの価値はちゃんと認めているところです。

CTFは、

こうした良さがあった。
そこは著者も否定していません。

だからこそ、「この文化が今の形のまま続くとは思えない」と言っているのだと思います。
単なる懐古主義ではなく、​文化の終わりと変質を見ている 記事なんですよね。
この視点はかなり鋭いです。

まとめ:AIで強くなったのは、CTFか、それとも競技の外側か

この記事の主張を一言でまとめると、
AIはCTFを便利にしたのではなく、オープンCTFの意味を変えてしまった ということです。

技術的にはすごく面白い現象です。
でも競技として見ると、かなりしんどい。
人間の努力がそのまま順位に結びつく、あの「わかりやすい燃え方」が薄れてしまうのは、やっぱり寂しいです。

一方で、私はこの記事を読んで、CTFそのものが完全に終わるというより、​役割分担が変わるのではないか とも思いました。
競技の場としては苦しくなっても、学習、研究、コミュニティ形成の場としての価値は残るかもしれません。
ただ、昔のような「スコアボードを見れば強さがわかる」という素朴な時代には戻れない――この点は、かなり現実的な見方ではないでしょうか。


参考: The CTF scene is dead - kabir.au

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