Claude が chat と Cowork で記憶を共有する、という話を読んで、まず思ったのは「やっと来たか」よりも「そこまでやるのか」という感覚だった。会話ごとに文脈が切れないのはたしかに便利だし、毎回同じ説明を繰り返さなくていいのは助かる。でも、記憶がひとつにまとまると、単なる便利機能というより、AI が“自分について知り続ける存在”に寄っていく感じがする。
特に引っかかったのは、健康や beliefs のようなセンシティブな話題に対して、ユーザーがコントロールを持てるようにしている点だ。これは正しい方向だと思う一方で、逆に言えば、そこまで気を配らないと危ない領域に入っているとも言える。記憶は便利さの源泉だけど、同時に「何を覚え、何を覚えないか」がかなり重い設計判断になる。人間相手のメモですら扱いが難しいのに、AI がそれを横断的に持つとなると、安心感より先に管理の面倒さを感じる人も多いのではないか。
それでも、仕事で使う道具として考えると、この方向はかなり自然だと思う。チャットのたびに別人格みたいにふるまうAIより、少しずつこちらの文脈を理解してくれるAIのほうが、実務には向いている。便利さと不気味さが同時に増える。そのバランスをどこで受け入れるか、という記事だったように思う。