書くことに、透かしを入れるな
最初に思ったのは、そこまでして「誰が書いたか」を本文の内部に埋め込みたいのか、という違和感だった。文章って本来、読者に伝えるためのものなのに、その中に「出自の手がかり」を隠すための都合が割り込んでくる。John Gruber が怒っているのは口調だけじゃなくて、その発想そのものなんだと思う。 特に引っかかったのは、Anthropic が最初は「意味も品質も可読性も変えない」と言っていたのに、実際には単語選択の確率をいじる、つまり書きぶりそのものに介入する仕組みだと分かった点。微妙な言い換えでも、意味は完全には同じじゃない。英語でも日本語でも、`jumped` と `leaped`、あるいは語感の少し違う言い回しの差は、読む側の受け取り方を変える。LLM に求めたいのは「それっぽく見える文章」ではなく、その場でいちばんまっすぐな言葉だろう、という Gruber の苛立ちはわりと分かる。 一方で、EU の規制がかなり雑に見えるのもたしかだと思う。テキストにまで watermark を求めると、悪用する人より先に、普通の利用者がしわ寄せを受ける気がする。しかも、ほんとうに隠したい人は別の p
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