このブログ記事は、AIが便利すぎるせいで「自分の頭で書く力が落ちている気がする」という、かなり率直で生々しい告白です。
著者のJames Painさんは、文章でもコードでも、ついAIに頼ってしまう。でもそのたびに「なんかAIっぽい」「自分の言葉じゃない」と感じてしまう。ここがまず面白いところです。便利さを享受しながら、同時に“自分が薄まっていく感覚”まできちんと自覚しているんですね。
著者は、もともと自分が文章や開発に向いていないわけではなかった、と感じています。
でもAIを使う頻度が増えるにつれて、自力で書く力や考える力が弱ってきたように感じる。これは、筋トレをサボると筋肉が落ちるのにちょっと似ていると思います。脳や手を使う作業も、やらないと鈍るのではないか、という感覚です。
特に印象的なのは、著者が自分の不安や impostor syndrome(「自分は本当にこれを作れるのか」と疑ってしまう気持ち)にAIが付け込んでいる、と感じている点です。
「AIに聞けば速いし、それっぽく整う。でも、読み返すと自分のものじゃない」という感覚は、かなり多くの人に刺さる話ではないでしょうか。
文章以上に深刻なのが coding の話です。著者は1〜2年ほど、ほぼAIへのプロンプト入力だけで作業してきて、コードを1行も自分で書いていないと述べています。
その結果、コードを書く感覚をかなり忘れてしまったそうです。これは率直に言って、かなり怖い話です。便利な道具のはずが、長く使うほど「自分の手」が消えていくわけですから。
ただし著者は、ソフトウェア開発の技能がAIで完全に消えるとは思っていません。
コードを読んだり書いたりできる人は今後も必要で、ただし人数は減るだろう、という見方です。ここは現実的だと思います。AIが全部やる世界というより、AIを使いつつも、最終的に理解して責任を持てる人の価値が上がる、という方向ではないでしょうか。
記事では、Robert Martin(Uncle Bob)の話も引きながら、昔はプログラミングが物理学者や数学者、学者の仕事だったことに触れています。
つまり、かつてはかなり「専門職」だったものが、その後の数十年で需要が爆増し、ソフトウェア開発者が大量に必要になった。その流れに対して、AIが逆風になるかもしれない、というわけです。
この見方は興味深いです。
私は、AIが開発者を全員置き換えるというより、**“書ける人”と“AIに頼るだけの人”の差をはっきり見せる道具になる**のではないかと思います。便利だからこそ、基礎体力の差が目立つ。かなり皮肉ですが、たしかにありそうです。
この文章の面白さは、AI批判を派手にやっているわけではないところです。
著者は記事そのものをAIで書いていません。でも、公開前にClaudeへコピペして「変じゃないか見てみようか」と思ってしまった。そこで「あ、また自分の不安に食われそうになっている」と気づくんです。
ここ、かなり大事だと思います。
問題はAIそのものというより、AIを使うことで自分の判断をどんどん外に逃がしてしまうことなのかもしれません。確認のつもりが、だんだん「自分では決められない」に変わっていく。便利なツールが、いつの間にか思考の代行者になるわけです。
この記事は、「AIは便利だけど、使いすぎると自分の力が落ちる気がする」という、かなり素直で切実な警告です。
大げさな未来予測ではなく、**“今まさに自分がそうなっている”**という実感が中心にあるので、説得力があります。
個人的には、この話はかなり多くの人に関係があると思います。文章、コード、ドキュメント、メール、なんでもAIで済ませられる時代だからこそ、「自分で考えて自分で書く時間」を意識的に残す必要があるのではないでしょうか。
便利さに甘えながら、同時に基礎力を守る。たぶんそれが、これからのいちばん難しいバランスだと思います。