この記事は後半です。前半は Qiita にあります: Deep Blueは本当に要ったのか——200MHz Pentium ProでStockfishがKasparov級に届くまで
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画像: en.wikipedia.org より
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まず押さえたいのは、Stockfish が強いのは単に速いからではない、という点だ。古いエンジンは、たくさん読むことで強くなろうとしがちだった。だが現代のエンジンは、読む手を絞り、読む深さを配分し、局面評価を更新するやり方そのものが違う。Carlini の記事が示しているのは、Pentium Pro のような 200MHz の環境でも、この「捨て方」の改善が効くという事実だ。
実際、1996年の Crafty をそのまま動かした場合と、現代的な探索の考え方を足した場合では、同じ機械でも Elo が大きく変わる。さらに Stockfish を移植した場合には、素朴な 32bit 化とメモリ制約への対応だけでもかなり強くなり、そこから Pentium 向けの調整を重ねると、30秒1手で 3180 ± 80 に達する。ここで効いているのは、クロック周波数ではなく、探索と評価の設計だ。
Deep Blue が当時すごかったのは事実だが、Carlini の主張は「専用機でなければ無理だったわけではない」にある。むしろ、後年のアルゴリズム知識を当時の量産CPUに載せられれば、勝敗はもっと簡単に傾いたかもしれない、という逆転の見方だ。
NNUE は、この話の中心にある。Chess Programming Wiki では、盤面を駒・色・マスの組み合わせとして入力し、局面が少し変わっただけなら全体を計算し直さず差分で更新できる仕組みとして説明されている。つまり、毎回ゼロから評価するのではなく、前の評価を少しだけ直す。これが Pentium Pro で効く。
Stockfish では 2020年に NNUE が採用され、それ以前の手作り評価から大きく舵が切られた。ここで大事なのは、NNUE が巨大な計算機を前提にした重いネットワークではないことだ。局面の変化に応じて、効率よく更新できる構造になっている。古いCPUでは、再計算を減らせること自体が強みになる。速いマシンなら力ずくで吸収できる差が、遅いマシンではそのまま強さの差として表に出る。
Carlini の記事が面白いのは、これを理屈だけで終わらせず、実機で見せているところだ。Pentium Pro は 32bit 機で、メモリも 64MB しかない。だから Stockfish をそのまま持ち込むのではなく、32bit 演算への合わせ込みや、メモリ使用量の圧縮が必要になる。NNUE のような差分更新型の仕組みは、こうした制約下でこそ活きる。
数字の扱いは少し慎重でいい。Carlini は 30秒1手で 3180 ± 80 を測り、そこからクラシカルな持ち時間に外挿して 3300 ± 87 と見積もっている。つまり、3300 は直接の実測値ではない。1秒→10秒、10秒→30秒で、持ち時間を3倍にするごとに約 +70 Elo 伸びたことを根拠に、相手の手番中の思考も含めて1手あたり約6分あるクラシカルな対局なら 3350 と計算し、収穫逓減を見込んで安全側に 3300 とした推定だ。
ここは「盛っている」と切り捨てるより、条件付きの数字として読むほうが正確だろう。Elo は絶対値ではなく、対局条件つきの比較指標だ。だから 3300 という表現も、強さの方向性を示す目安として受け取るのが筋だ。
同時に、限界も見える。Carlini 自身、1台のマシンではクラシカルな持ち時間で十分な局数を回せないので外挿した、と書いている。3倍ごとに +70 という伸びが6分まで続く保証はなく、3300 にはその仮定ぶんの幅がある。
この種の実験を、歴史の面白い読み物だけで終わらせるのは惜しい。私なら、二つの用途で見る。ひとつは、古いハードでもアルゴリズム改善が効くことの確認だ。もうひとつは、今のエンジン開発で「どの改良が本当に効いているか」を考える材料として使う。
前者では、Pentium Pro のような制約の強い環境に、どこまで現代の設計を落とし込めるかを見る。後者では、NNUE や探索改善が、ハードの世代差を超えて効くことを再確認する。Crafty の比較も役に立つ。古い骨格のエンジンでも、探索や評価の要点を現代化するとかなり伸びる。これは、単なる「新しいほうが強い」という話ではない。
注意点もある。まず、3300 Elo は実測の一点ではなく外挿を含む。次に、Deep Blue との比較は、1996年当時の専用機と、2026年の知見を持つソフトの対比であって、同じ土俵ではない。さらに、Stockfish の現行の強さは、Fishtest を含む継続改良の積み重ねの結果だ。1996年の計算機にそのまま入れれば同じ結果になるわけではない。
それでも、この話が示す結論ははっきりしている。Deep Blue が象徴したのは「専用ハードの勝利」ではあっても、勝利の本体はアルゴリズムの進歩にある。1995年の Pentium Pro でそれが動くなら、なおさらだ。古いCPUは弱い。だが、賢いソフトはそれをかなり遠くまで連れていく。