
ブラウン大学で起きたこの話、かなり重いです。しかも、ただの「試験でズルした人がいました」という話では終わりません。大学が長年かけて築いてきた信頼、つまり「ここで学んだ学生の成績には意味がある」という前提そのものが、AIの登場でぐらついている。この記事は、その現場で何が起きているのかをかなり生々しく伝えています。


中心にいるのは、ブラウン大学の著名な経済学者ロベルト・セラーノ教授です。彼は、数学的経済学の上級学部生向け講義 ECON 1170 を担当していて、そこで行われた3月の中間試験で、少なくとも50人の学生がAIを使って不正をしたと見ています。しかも「怪しい」レベルではなく、**“overwhelming evidence”**、つまり圧倒的な証拠がある、と教授は言い切っている。これは相当強い表現です。



試験の形式がまた、現代的というか、悩ましい。今回は take-home の closed-book exam でした。要するに「家に持ち帰って解くけれど、教科書やノートは見ないでね」という形式です。時間をたっぷり使えるので、普通の試験より難しい問題を出せる。実際、セラーノ教授は授業で扱ったモデルの前提を少し変え、その条件下で命題が真か偽かを証明させたそうです。数学的な思考力が問われる、なかなか骨のある課題です。



でも、ここでAIが効いてしまう。学生が問題文を ChatGPT に入れれば、見た目には立派な解答らしきものが出てくる。教授によると、採点者は答えの中に「ChatGPTに通した結果と一致する不自然な文章」を見つけたといいます。これ、すごく嫌な感じがします。人間が考えたはずの答案に、AI特有の整いすぎた文体や妙な一般論が紛れ込む。採点する側からすると、違和感はかなり露骨だったのではないかと思います。



しかも数字がかなり不自然です。中間試験の平均点は100点満点中96点、満点が40人。上級の難しい授業でこれは、正直かなり出来すぎています。教授も怪しんで当然でしょう。さらに期末試験は対面で実施したところ、平均点は48点まで急落しました。中間試験を受けた89人のうち、期末に来たのは59人。しかも中間で満点だった27人のうち22人が欠席したというのですから、これはもう偶然では片づけにくい。個人的には、この数字の並びだけで「うわ、これは厳しい」と感じます。


セラーノ教授は中間試験を無効にはしませんでしたが、学生には「期末は対面でやる」と警告し、最終成績は期末を重視する可能性があると伝えました。そして来年度からは、週ごとの課題を成績に入れない、持ち帰り試験もやめる、と方針を変えるそうです。つまり、AIで簡単に代行できるものは評価対象にしない。かなり苦い決断です。教育現場としては本当に痛い。けれど、気持ちはわかります。真面目にやる学生が損をする制度を、そのまま維持するわけにはいかないからです。



ただ、この話を単なる「AIが悪い」で片づけると、少し浅いと思います。教授自身も、持ち帰り試験を選んだのには理由がありました。前年12月、ブラウン大学ではキャンパス内で銃撃事件が起き、学生2人が死亡、9人が負傷しました。セラーノ教授の授業にも、けがをした学生が2人いたそうです。さらに、亡くなった学生の一人エラ・クックさんは、事件の数日前に教授の研究室を訪れていた。教授はその事実を知って深く傷ついたと語っています。



その事件のあと、学生がキャンパスにいるだけで不安を感じることもあるだろうと考え、少しでも負担を減らすために持ち帰り試験にした。ここはかなり切ないです。教授は学生に優しくしようとした。ところが、その善意につけ込む形で不正が広がったわけです。制度を柔らかくすると、そこにAIが入り込む。教育現場にとっては本当に厄介なジレンマです。

ブラウン大学側の反応も、教授には冷たく映ったようです。上層部に報告しても沈黙に近い反応で、学内の審査委員会に持ち込むまで本格的な対応がなかった。教授は、大学が「これは重要な警告だ」と言うだけでは足りないと考えています。彼が求めているのは、問題を小さく扱わず、学問の誠実さをどう守るかを大学全体で議論することです。これはかなり筋の通った主張だと思います。個々の教員にだけ責任を背負わせても、AI時代の不正は止められないでしょう。



この記事で面白いのは、ブラウン大学だけの話として終わらないところです。米国の名門大学では、AIを前提に教育制度を見直す動きが始まっています。たとえばプリンストン大学では、133年続いた慣習をやめて、今後は教授が対面で試験監督をすることになったそうです。かつては教員が試験を配って部屋を出て、あとで回収する方式がありましたが、AIの時代にはもう通用しない。The New York Times の記事では、AIによって「ごまかしがこれまで以上に簡単で、しかも得になりやすい」と指摘されていました。


実際、スタンフォードを卒業した若い記者は、自分の大学生活の4年間で「AIを使わずに課題を乗り切った人なんているのか」と疑問を投げかけています。ちょっと大げさにも聞こえますが、正直、完全には否定しきれない空気があります。AIは便利すぎる。だからこそ、使い方の境界線があいまいになりやすい。レポートの下書き、数式の整理、要約、表現の整形。どこまでが補助で、どこからが不正なのか、学生も教員も揺れているはずです。



セラーノ教授は、そこを曖昧にしたままではいけないと言っているわけです。もし真実や誠実さを守れないなら、大学が持つ信用は何なのか。かなり厳しい言葉ですが、教育機関としては避けて通れない問いです。特に名門大学ほど、「そこで何を学んだか」だけでなく、「どんな基準で学力を測ってきたか」がブランドの一部になっています。だからAI不正が広がると、学位の価値そのものが疑われかねない。ここがいちばん怖いところだと思います。



個人的には、この件は「AIによるカンニングが起きた」というより、大学がAI時代の評価方法をまだ完全には作れていないことを示す事件だと見ています。学生だけを責めても解決しないし、かといって全員を疑って監視を強めれば、大学らしい自由な学びが痩せてしまう。難しいですが、だからこそ本気の議論が必要なんでしょう。AIはもう消えません。ならば、試験の形式、課題の出し方、評価の仕組みを、もっと現実に合わせて変えていくしかない。ブラウン大学のケースは、その面倒さと切実さを一気に見せつけた出来事でした。






参考: Professor denounces mass AI fraud on an exam at Brown University: ‘Academic integrity is at risk’

