Open Source Resistance は、ざっくり言うと
「企業に勤めながらOSSメンテナンスをしている人は、夜や週末だけでなく、会社の勤務時間でもやるべきだ」
という“直行型”のマニフェストです。
ここで言うOSSは Open Source Software、つまりソースコードが公開されていて、誰でも利用・改変できるソフトウェアのことです。
たとえば、Webサービス、開発ツール、インフラ、パッケージ管理など、私たちの仕事の土台にはOSSが山ほどあります。
著者のMike McQuaidは、その現実をかなりシンプルにこう切り取っています。
企業はOSSから毎日利益を得ているのに、メンテナンスは個人の善意に丸投げしすぎでは? というわけです。
これは正直、かなり痛い指摘です。
しかも「善意で頑張れ」「寄付ボタンを押してね」だけでは回らない、という話は、OSSに少しでも触れた人なら身に覚えがあるはずです。
このサイトの中心メッセージは、次の一文に集約できます。
会社がすでに依存しているOSSの保守は、仕事の一部として会社の時間でやっていい
つまり、
こうした作業は、会社のサービスや製品を支えるインフラ整備であり、単なる「趣味の延長」ではない、という考えです。
ここが面白いのは、単なる反抗ではなく、かなり実務的な立場を取っていることです。
「会社を騙してサボれ」ではありません。
むしろ、会社がすでに使っているものを、会社のために整備するのは当然というロジックです。
個人的には、この考え方はかなり筋が通っていると思います。
だって、OSSが止まったら困るのは会社自身ですから。
それなのにメンテナだけが無償の残業で支える構図は、どう見ても長続きしません。
サイトでは、かなり簡潔に3点が示されています。
まずは自分を守れ、という話です。
具体的には、
ここでいうIPは Intellectual Property、つまり知的財産です。
要するに、「そのコードの権利は誰のものか」をちゃんと確認しろ、ということです。
次に、実際にやる。
つまり、今すでに関わっているOSSを、勤務時間の中で維持するということです。
最後に、やりすぎるな、です。
ここは英国っぽい言い回しで少しユーモアがありますが、意味は明快です。
OSSのために勤務時間の100%を使ってクビになったら元も子もない。
だから、バランスを取れ、ということですね。
この“ちゃんと現実を見ろ”感は、かなり大事だと思います。
理想論だけで突っ走ると、最終的にメンテナ自身が燃え尽きますから。
記事では、似た流れにある別の取り組みも紹介しています。
企業がメンテナにお金を払う取り組みです。
1人あたり年2,000ドルを目安に支援しよう、という発想。
金曜に少なくとも2時間、OSSのために時間を使おうという取り組み。
どちらも穏当で、かなり良い方向だと思います。
著者もそれらを否定していません。むしろネット上の健康診断的な処方箋としては正しいと認めています。
そのうえでOpen Source Resistanceは、もう一段踏み込んでいます。
「会社に許可を求める段階はもう終わっている。依存しているなら、その保守は仕事だ」
というわけです。
この強さが、たぶん賛否を呼ぶポイントでしょう。
でも、OSSの現場が抱える“空気の重さ”を考えると、あえてここまで言い切る意義はあると思います。
このサイトの面白いところは、反対意見をかなり先回りして潰していることです。
しかも、ただの感情論ではなく、かなり現場感があります。
つまり「会社の時間を盗んでるだろ」という批判です。
これに対して記事は、
と返しています。
この反論、かなり痛快です。
“無料で使うのは当然、でも直すのは個人の善意で”という発想のほうが、よほど不公平ですから。
記事はこれに対して、許可を求める行為自体が力関係の固定化につながると述べます。
要するに、
「上司にお願いしないとやれない」状態だと、OSS保守はいつまでも“本業ではない余計なこと”扱いになる、ということです。
ここは少し挑発的ですが、言いたいことはわかります。
許可待ちの文化は、重要なメンテナンスを後回しにしがちです。
現実的な不安です。
記事は、可能性はゼロではないが、通常はかなり起こりにくいだろうと述べています。
ただしここは、契約や職場の空気しだいで大きく変わるので、鵜呑みにしないほうがいいでしょう。
quiet quitting は、最低限しか働かないことを指すネットスラングです。
記事はこれを否定します。
これは仕事を減らす話ではなく、OSSインフラをきちんと保守する話だ、と。
ここは本当にその通りだと思います。
“静かな離脱”と“必要な保守”は全然違います。
むしろ後者は、見えにくいけれど会社にとって重要な仕事です。
この記事が誠実なのは、最後にちゃんと限界も書いているところです。
たとえば、
こういう状況では、この主張はかなり弱くなると認めています。
そして、いちばん安全なのは
「勤務時間中に、すでに関わっているOSSや共有ツールを保守する」
ことだと整理しています。
これは良い着地点だと思います。
つまり、何でも好き勝手にやれという話ではなく、自分の仕事の範囲にある共通基盤をちゃんと守れということです。
Mike McQuaidは、GitHub SponsorsやOpen Source Fridayの共同創設者で、Homebrewのリードでもあります。
しかも本人は、長年にわたりOSSを勤務時間中に進めてきたと明言しています。
印象的なのは、
「家族ができてから、OSS作業の90%以上が勤務時間中になった」
と書いている点です。
これ、すごく現実的です。
OSSに人生を全部捧げるのではなく、持続可能な形にする。
この発想は、理想論よりずっと強いです。
そして彼は、
誰もあなたの夜や週末、家族の時間を勝手に要求する権利はない
とも述べています。
ここは本当に重要だと思います。
OSSが尊いからといって、無限の自己犠牲を当然視してはいけない。
その空気をはっきり拒否しているのが、このマニフェストの価値でしょう。
記事はかなり強い言葉を使っていますが、法務面では慎重です。
しかも冒頭で明確に、自分は弁護士ではないと断っています。
注意点としては、
このあたりは国や会社でかなり違います。
つまり、
「思想としては理解できる。でも実行前に契約は読め」
が正解です。
ここを飛ばすと危ないです。
この記事もその危険はちゃんと認めています。
この慎重さは、かなり好印象でした。
個人的には、このマニフェストは単なる煽り文句ではなく、
OSSを支える人たちがずっと感じてきた不均衡を、かなり大胆に言葉にしたもの
だと思います。
もちろん、全員がこれをそのまま真似できるわけではありません。
立場が弱い人ほど、会社に逆らうコストが高いからです。
だから万能薬ではない。
でも、
「OSSは大事です」
「いつも助かっています」
だけを言って、保守の労力を個人の夜に押しつける文化には、そろそろ限界が来ている。
この主張は、その空気に対する強いカウンターとして読むと腑に落ちます。
要するにこれは、
“ありがとう”だけでは動かないOSSの現実
を、ちょっと乱暴なくらいに正面から言い切った記事です。
そして、その乱暴さがむしろ効いている。
私はそう感じました。