Google で長くソフトウェア開発に関わってきた Martin von Zweigbergk が、バージョン管理システム Jujutsu の創作者として East River Source Control(ERSC)の CTO に就いた。単なる人事ニュースに見えて、実はかなり野心のある話だ。AI の影響でコードを書く量も、コードを共有して管理するやり方も変わりつつある中で、ERSC は「次世代の source control platform」を本気で作ろうとしている。そこに、既存の Git 系ツールの限界をよく知る人物を迎えた、という構図である。
ERSC は 2026 年 9 月 1 日、Martin von Zweigbergk を chief technology officer に任命したと発表した。von Zweigbergk は Jujutsu の作者として知られる。Jujutsu は 2019 年後半に個人プロジェクトとして始まり、その後 Google での本業になった。GitHub では 30,000 以上の star を集め、Apache 2.0 license で公開されている。
ERSC の説明では、von Zweigbergk は Jujutsu 以前にも Google の Mercurial client である Fig に携わり、Google の巨大な monorepo である Piper の上で distributed workflow を使えるようにする仕事をしていた。さらに Git 自体にも貢献しており、2022 年の Stack Overflow developer survey では 96% の開発者が仕事で Git を使っている、と会社は補足している。要するに、彼はかなり早い段階から「大規模な開発組織で、どうやってソースコードを扱うか」という問題を追い続けてきた人だ、というのが ERSC の売り文句だ。
ERSC の co-founder 兼 CEO である Benjamin Brittain は、彼が engineering を率いることで、会社はまったく違う水準の technical capability を得られると述べている。背景にあるのは、AI によって software industry の形が変わり、組織が扱う source code management と collaboration tools の要求が「指数関数的に増えている」という見立てだ。会社はその変化に合わせた next generation の version control platforms を作っている最中で、ERSC Storage は月内に private beta に入る予定だという。
一方で von Zweigbergk 自身は、Jujutsu の open source project には引き続き core maintainer として関わると説明している。彼のコメントはかなり率直で、Jujutsu は laptop 上の version control を改善したが、remote server の中身はまだ Git のままで、その ceiling は scale の大きい製品ではすぐに見えてしまう、と述べている。だからこそ storage layer 自体を変える必要があり、その仕事は open source project よりも company に支えられた方がうまく進む、という考えだ。ERSC は 2025 年に立ち上がり、Amplify Partners の支援を受けている。
この人事でまず面白いのは、Martin von Zweigbergk が「Git を置き換える」と大きく叫んでいるわけではない点だと思う。むしろ彼のコメントは、Jujutsu が改善したのはローカル側、つまり手元の PC 上の体験だと切り分けている。ところが本当に苦しいのは server 側だという。ここには、ツールの使い心地の話では片づかない、インフラの設計問題がある。巨大なコードベースを抱える組織では、クライアントを少し賢くしただけでは限界が来る、という感覚だろう。
この視点は、Jujutsu のファンにとっても重要だ。Jujutsu は Git の代替というより、Git を使う体験を別の形に整える道具として受け取られてきた面がある。だが本人は、もっと根っこの storage layer に問題意識を持っている。つまり、見た目の操作性を磨く段階から、データをどう置き、どう共有し、どうスケールさせるかへ関心が移っているわけだ。ここが会社でやる理由になる。オープンソースで広く使われる道具を作ることと、実際に大規模運用に耐える基盤を作ることは、似ているようで全然違う。
ERSC が強調しているのは、AI が software industry を変え、source code management と collaboration tools の需要を押し上げている、という見方だ。これは少し誇張に聞こえるかもしれないが、筋は通っている。AI で生成されるコードが増えると、人間がレビューし、まとめ、追跡し、巻き戻す対象も増える。単に commit の数が増えるだけではなく、変更の粒度や流れ方そのものが変わる。そうなると、従来の Git 周辺ツールの設計思想がそのまま通るのかは怪しい。
ただし、ここで注意したいのは、ERSC はまだ private beta 前だということだ。つまり、現時点では「Git はもう駄目だ」と証明されたわけではないし、ERSC Storage がどう新しいのかも、本文だけでは詳しくは見えない。むしろ注目点は、ベテランのエンジニアリングリーダーがこの仮説に賭けていることにある。AI でコードの生産量が増えるなら、管理基盤も別物が必要になる、という発想は分かりやすい。だが、その変化が本当に既存のバージョン管理を越えるほど大きいのかは、これから問われる。
von Zweigbergk は Jujutsu の core maintainer を続ける。ここは地味に大事だと思う。よくある「人気 OSS の作者がベンチャーに移る」話なら、コミュニティが離される不安が先に立つ。だが今回は、本人が open source 側の役割を手放さないと明言している。少なくとも建前としては、Jujutsu はこれまで通り Apache 2.0 license のもとで続き、ERSC での仕事とは別に保たれる。
一方で、本人は「remote server は still Git」と言い切っている。つまり、ローカル体験とサーバー体験が分離したままでは、どこかで頭打ちになるということだ。ここから見えるのは、今後の source control が「クライアントの改善」だけではなく「保存と同期の基盤」へ重心を移す可能性だ。もし ERSC が本当にそこを狙うなら、競争相手は GitHub のような見慣れた名前だけではない。大規模開発の内部基盤を自前で抱える企業、そして AI 前提の開発フローを先に固めたい企業が相手になるはずだ。そう考えると、この CTO 就任は単なる採用ではなく、次の戦い方を決める布石に見える。
von Zweigbergk の経歴で印象的なのは、Jujutsu だけでなく Fig や Git にも触れてきた点だ。Fig は Google の distributed workflow を支える側で、Piper のような monorepo の世界に接続されていた。つまり彼は、理想論としての version control ではなく、巨大組織の現実の制約を見てきた人物である。だから ERSC が欲しかったのは、単に「有名な OSS 作者」ではなく、「大規模な開発の面倒くささを肌で知る CTO」なのだろう。
ただ、経験がそのまま勝ち筋になるとは限らない。Google のような超大規模環境で通用した設計が、そのまま一般企業向け製品で受け入れられるとは限らないからだ。しかも ERSC は 2025 年に始まったばかりの会社で、private beta もこれからだ。技術的に正しいものを作ることと、市場で使われるものにすることの間には距離がある。とはいえ、少なくともこの採用は「何を作る会社か」をはっきりさせた。Jujutsu の作者を CTO に据えるなら、ERSC は中途半端な周辺ツールではなく、version control の土台そのものを取りにいくつもりだ、と受け取るのが自然だと思う。
参考: East River Source Control Names Jujutsu Creator Martin von Zweigbergk Chief Technology Officer