この文章は、AIそのものを全面否定しているというより、AIがあちこちに入り込みすぎて、人間どうしのやりとりが薄くなっていることへの疲れを率直に書いた短いエッセイです。
読んでいてまず印象的なのは、筆者の苛立ちがすごく具体的な形で出ていること。ふわっとした愚痴ではなく、実際に起きた出来事が並んでいるので、妙にリアルなんですよね。
たとえば最初の話では、筆者がGitHub上でマルウェアを広げているリポジトリを見つけ、AIに「どうすればいい?」と聞いたそうです。
ここでいうマルウェアは、他人の端末に害を与える不正なソフトウェアのこと。普通なら、通報手順やGitHubへの報告方法、証拠の残し方など、実務的な助言がほしい場面です。ところがAIは役に立つ答えを返さなかった。そこで筆者はGitHubで議論を始めます。
すると、返ってきたコメントがAIが出したものとまったく同じ文章だったというのです。しかも筆者が「それAIの文そのままじゃないか」と指摘すると、そのコメントは削除された。さらに別の人が返事をしてきたものの、また同じAIっぽい文章だった。
これ、地味に怖いです。というのも、会話の中に「人が考えて答えている感じ」がなくなると、議論の意味そのものが薄れてしまうからです。技術系コミュニティって、本来は失敗談や現場感、ちょっとした違和感が価値になる場なのに、そこに“それっぽい文章”だけが流れてくると、空気が一気に乾く感じがします。
次のエピソードも、かなり現代的です。筆者が会社で業務の質問をしたところ、ビジネスオーナーが返してきたのはChatGPTのスクリーンショット。でも、その答えは質問と関係なく、内容も間違っていた。
ここで面白いというか、ちょっと笑えないのは、相手がAIの答えをちゃんと読んでいないことです。つまり、AIを“考える道具”として使っているのではなく、何かを返した気にさせるための小道具として使っているわけです。これはかなり本質的な問題だと思います。AIが便利なのではなく、AIを使ったという事実だけで安心してしまう。そんな場面、確かに増えている気がします。
さらにRedditでのやりとりでは、最初は普通に会話していると思った相手が、途中でAIエージェントだったと気づいたそうです。AIエージェントは、ざっくり言えば人の代わりに自動で会話や作業をするAIのこと。
筆者は「やっと人と話せる」と思ったのに、結局またAIだった。ここに、この記事のいちばん大きな感情が詰まっているように感じました。
この文章の核心は、AIの性能そのものではなく、コミュニケーションの質が下がっていることへの違和感だと思います。
AIは確かに便利です。
要約、下書き、アイデア出し、調べものの入口としてはかなり役に立つ。これは間違いないです。私も「ゼロから考えるより、まず叩き台を作る」用途では強いと思っています。
でも一方で、AIの答えをそのまま貼るだけだと、会話が“人間の思考の往復”ではなくなります。
しかも、もしその答えが間違っていても、送り手が中身を理解していなければ修正もできない。つまり、便利そうに見えて、実は責任の所在がぼやけるんですよね。
筆者がうんざりしているのは、AIがあるからではなく、人が考えることをやめてしまう瞬間なのだと思います。
これはSNSやチャットツールが普及した今だからこその問題でもあります。返事が速いことより、ちゃんと読んで答えることのほうが、実はずっと大事なんですよね。
個人的には、この文章はかなり共感できます。
AIはたしかに便利だけど、「それ、あなたの考えはどこ?」と思う場面は増えた気がします。スクリーンショットをそのまま送るだけ、コピペで済ませるだけ、相手の文脈を見ないままAIの回答を貼るだけ——こういうやり方が増えるほど、会話はどんどん雑になるはずです。
もちろん、AIを使うこと自体は悪くないです。むしろ上手に使えば時間を節約できるし、初学者の助けにもなる。
でも、相手が求めているのは「AIの答え」ではなく、その人の判断や経験が混ざった返事だったりします。そこを飛ばすと、便利さの代わりに信頼を失うんじゃないか、と私は思います。
この記事は短いけれど、かなり今っぽい問題を突いています。
AIが賢くなるほど、人間のほうが「ちゃんと自分で読む・考える・返す」ことをサボりやすくなる。そこに筆者は疲れている。たぶん多くの人も、言葉にしていないだけで少し似た疲れを感じているのではないでしょうか。