AIによってソフトウェア開発がどう変わるのかは、すでに何度も語られてきました。ただ、この文章が面白いのは、プログラミングの効率化ではなく「OSとは何のためにあるのか」まで話を押し広げている点です。書き手は、自分がFly.ioを離れて新しいプロジェクトに移ると明かしたうえで、AIで変わるのはアプリの作り方ではなく、アプリと利用者の関係そのものだと主張します。そこから先は、スマホやOSの役割をかなり大胆に組み替える話になります。
書き手はまず、自分がFly.ioを離れてKurtと新しいプロジェクトに取り組むと告げます。先に利害関係を明かしたのは、ここからの話が単なる観察ではなく、自分たちが賭けている未来の説明でもあるからです。彼が言いたいのは、AIの影響はすでに十分語られているようで、まだ本当に腹落ちしていない、ということでした。
話は子どもの頃の体験に戻ります。最初の「コンピュータ」は、たぶんVTech Laser 200のクローンのような機械で、チクレット型キーボードのZ80機、カセットテープで動き、テレビに接続するタイプだったそうです。当時の彼は、ゲームやテキストアドベンチャーを作れると夢見たものの、起動するといきなりBASICが立ち上がるだけで、8歳の自分にはそれを学ぶ気にはなれなかった。そこで学んだのは、コンピュータは思ったほど魔法ではない、という少しがっかりした事実でした。
十代になるとセキュリティの世界を通じてプログラミングに入りましたが、コードを書くほどに、複雑なアプリを一から作る大変さも見えてきた。高速なネットワークサーバーは書けても、ワープロのような総合アプリは、ディーゼル機関車を作れと言われるくらい無茶に感じた、と彼は振り返ります。ところが今は状況が逆転しつつある。AIのおかげで、子どものころに想像していた「コンピュータなら何でもできる感じ」が現実になり始めている、と。
その変化は、バックエンドとフロントエンド、webとnative、systemsとapplicationsの境界が溶ける、というレベルでは足りない。もっと重要なのは、プログラマとユーザーの境目が崩れていくことだと彼は言います。自分のMacのメニューバーやアプリ切り替え画面には、英語をプログラミング言語のように使って自分で生み出したアプリのアイコンが並ぶ。これは、知識のある少数の人だけの話ではなく、これからはパワーユーザーなら誰でも自分のためのソフトを作れるようになる、という見立てです。
彼はここから、ソフトウェア流通の話に移ります。昔はソフトを店頭で買い、やがて箱が消え、CD-ROMが消え、今はインターネット経由になった。次に消えるのは、あらかじめ決まった機能を持つ「完成品アプリ」そのものだというのです。代わりに増えるのは、個人や親しい人のために、その場で作られた小さなアプリ。たとえば、シカゴのRoscoe Villageで正確な天気を知りたい、道路のどのルートで帰るべきか知りたい、今この瞬間どこかで自分が出るべき会議がないか知りたい、といった、誰も大きな製品として作らなかったような用事です。
彼の見方では、これからのソフトは専門家の見知らぬ他人から「完成品」として届くのではなく、部品の形で届くようになります。巨大なブラウザやワープロは残るとしても、その一部を切り出して組み合わせ、誰かの生活の細部だけを解くアプリが桁違いに増える。そうなると、OSの役割も変わる。現代のOSは、アプリ同士を分離し、通信を厳しく制御するためにあるが、その前提は「異なる会社や見知らぬ開発者のソフトが一つの端末で共存する」世界だからです。同じ人たちが、あるいは親しい関係の中で、常に形を変えるソフトを作る世界では、その境界管理はそれほど本質的ではなくなる、と彼は考えます。
そこで書き手がやろうとしているのが、「その世界に必要なデバイス」としての電話機、つまりスマホを作ることです。2026年の主流スマホは、実際には2023年時点の発想で計画されている。今のスマホは1970年代に固まった設計思想を小型化しただけで、結局は固定機能のアプリを動かす箱にすぎない、と彼はかなり辛辣です。自分たちが作る電話は、AAA級モバイルゲームを誇示するためのものでも、TikTok専用でもない。必要ならそういうことも頼めるが、本質は「欲しいアプリを、その場で電話自身が作る」ことにある。最後に彼は、AIが不合理に見えることをやり始めるのに賭ける、と言い切って締めています。
この文章でいちばん引っかかったのは、AI時代の変化を「開発が速くなる話」で終わらせていないことです。多くの議論は、コード生成が便利になる、プロトタイプが早くなる、エンジニアの生産性が上がる、といったところに落ち着きます。でも彼はそこを出発点にして、完成品のアプリが大量に売られる前提そのものが揺らぐ、と見ています。これはかなり大きい。なぜなら、アプリストアやOSの権限設計、アップデートの仕組み、審査の思想まで、全部その前提の上に積まれているからです。
ただ、ここは少し慎重に見たほうがいいとも思います。個人向けの即席アプリは確かに増えるでしょうが、すべてがそうなるわけではありません。銀行、医療、行政、業務ソフトは、個人の気分でその場生成するには重すぎる。誰が責任を持つのか、監査ログをどう残すのか、法規制にどう合わせるのかがあるからです。つまり「1〜2人向けのソフトが増える」は当たっていても、社会の基盤まで全部置き換わるとは限らない。むしろ、軽い領域だけが猛烈に再編されるのではないか、と思います。
それでも彼の指摘が鋭いのは、OSを「ハードウェアを動かすための土台」ではなく、「アプリ間の境界を管理する装置」と捉え直したところです。これ、昔ながらのOS観からすると地味ですが、実は本質に近い。アプリが外部の店で買う製品だった時代は、互いに分かれていることが安全でした。でも、自分や親しい人が作るソフトが増えるなら、分離よりも可塑性、つまり後から形を変えられることのほうが重要になるかもしれない。彼が電話機の再設計に向かうのも、単に新製品を出したいからではなく、OSの役割が入れ替わる局面だと見ているからでしょう。
この文章は一見、エンジニア向けの未来予想に見えますが、実はいちばん効くのは非エンジニアかもしれません。今のソフトは、使う側が製品の形に自分を合わせることを前提にしています。ところが、英語で「こういう条件で、こういう画面で、こういう通知を出して」と頼めるなら、利用者は購入者ではなく、かなりの部分で設計者になります。小さな不便を抱えた人ほど恩恵が大きいはずです。会社のIT部門が面倒を見ない隙間、家庭内の共有タスク、個人の生活動線。そこは既製品が最も取りこぼしてきた場所だからです。
一方で、ここには危うさもあります。自分で作れることは自由ですが、同時に自分で保守する責任も背負うことになる。今でもスプレッドシートやショートカット、各種自動化ツールは便利ですが、結局は壊れた時に誰が直すのかが問題になります。AIでアプリ生成が容易になれば、その敷居は下がるでしょう。でも敷居が下がるのと、長く安心して使えるのは別の話です。書き手の熱量はここをあまり気にしていないように見えますが、実際には「作れる」世界を広げるほど、「維持できる」世界をどう設計するかが重要になるはずです。
印象的だったのは、彼がスマホを批判しながら、単に「今のスマホはダメだ」とは言っていないことです。むしろ、今のスマホが悪いというより、2023年以前の製品計画のまま2026年の市場を埋めていることに問題がある、という言い方でした。これはスマホそのものより、製品開発の時間差への批判です。世界が変わっても、ハードウェアは数年単位でしか追随できない。だからこそ、AIでソフトの前提が崩れるなら、ハードも「完成品を動かす箱」ではなく、「その場で用途が立ち上がる箱」に寄せる必要がある、という発想になります。
ただ、ここは理想と現実の摩擦がかなり大きいとも感じます。電話というデバイスは、通信品質や電池、セキュリティ、OSの安定性がものすごく強く求められる領域です。そこに「必要なら即座にアプリを生成する」思想を入れると、面白さと同時に不具合の入口も増える。ユーザーが欲しいのは柔軟性だけでなく、失敗しないことだからです。だからこのプロジェクトが本当に難しいのは、生成の自由を増やしながら、どこまでを固定し、どこまでを可変にするかを決める部分でしょう。彼がOSの再定義を持ち出したのは、そこを避けて通れないからだと思います。
最後に強く残ったのは、彼が「子どものころはコンピュータなら何でもできると思っていた。プロになると、その幻想が壊れた。今はまた学び直す時期だ」と締めていることです。これはノスタルジーではなく、認識の反転です。専門化によって、私たちはコンピュータの可能性を知ったのではなく、むしろ制約を覚えた。その制約がAIで少しずつ剥がれていくなら、必要なのはベテランとしての諦めではなく、初心者の好奇心に戻ることだ、というわけです。
私はこの態度を、かなり正直だと思いました。AIをめぐる議論は、しばしば過大評価か過小評価に振れますが、この文章はもっと乱暴で、もっと具体的です。便利になる、ではなく、作る側と使う側の区別が薄れる。アプリが売り物ではなくなる。OSが境界管理装置としての意味を失うかもしれない。賛成できるかは別として、こうした仮説を一続きの物語にしてしまうのは、今の時点ではかなり大胆です。少なくとも、AIを「既存のソフト開発を少し速くする技術」とだけ見ていると、この変化は見落とすのだと思います。