AI Overviews。検索結果の上にAIが要約を出す仕組みで、著者は「Webの文脈や出典を消している」と見るSmashing Frames の tante さんの記事は、かなり辛口です。
ひとことで言うと、GoogleがWebそのものに“戦争”を仕掛けている、という主張です。もちろんこれは比喩ですが、言いたいことははっきりしています。

昔の検索は、気になることを調べるといくつかのリンクを見せて、そこから自分で選ばせる仕組みでした。
ところが今のGoogleは、AI Overviews のように、検索結果の上で「はい、答えはこれです」と加工済みの文章を先に出してくる方向に進んでいる。著者はここを強く問題視しています。
この流れ、便利ではあるんですよね。正直、検索して一発で答えが出るのはラクです。
でも、そのラクさと引き換えに、どこからその情報が来たのか、誰が書いたのか、元のページは何を伝えたかったのかが見えにくくなる。ここがかなり大きい。
著者が特に怒っているのは、Googleが情報を脱文脈化している点です。
decontextualizing information という表現が出てきますが、これは難しく聞こえても意味はシンプルで、情報を元の文脈から切り離して、別の形にしてしまうことです。

たとえばブログ記事や調査記事、作品は本来、
でもAI要約が前面に出ると、その“背景”は薄れます。
ユーザーはGoogleの画面だけを見て満足してしまう。するとWebは、リンクでつながった開かれた場所ではなく、Googleが管理するひとつの巨大な画面の中に閉じ込められる。著者はそこを「新しい抽象層」と呼んでいます。
私はこの見立て、かなり鋭いと思いました。
なぜなら本当に怖いのは、AIが間違うことだけではなく、「間違っているかどうかを確かめるための元ページへ行かなくなる」ことだからです。

Googleの AI Overviews は、要するに検索結果をAIで要約したものです。
元記事では、これを「現在のSearchにあるAIスニペットで、約10%は間違っている」とも述べています。これは著者の強い表現ですが、少なくとも誤りが起きうるのは確かです。
ここで大事なのは、単に「AIがときどきミスする」ではなく、ミスしていても、それっぽく見えてしまうことです。
しかも、回答が検索ページ上で完結すると、ユーザーはリンクを開かない。すると、元の情報源を確認する習慣そのものが弱くなる。
これ、かなり“じわじわ来る”タイプの変化です。
派手な改悪ではないけれど、気づいたときには「Webを見に行く」より「Googleに聞いて終わり」が当たり前になる。著者が危機感を持つのもわかります。

記事の中で印象的なのは、かなり挑発的な言い方です。
Your website, your work no longer matters.
要するに、あなたのサイトや作品はもう大事じゃない、と言っているわけです。
ただし正確には、「人に読まれる文化的な存在」としては軽視され、Googleの生成文の材料としてのみ価値を持つ、という怒りです。

これもまた、言い過ぎだと感じる人はいると思います。
実際、オリジナルのコンテンツが検索流入で読まれている現実もありますし、Google検索が役に立つ場面は山ほどあります。
でも、著者の言いたいことは「全部無価値になる」という極論ではなく、価値の中心が“作り手”から“プラットフォーム”へ移ることへの警戒だと思います。
これはWeb全体の力学として、かなり重要です。
記事では、Web上の文章やアートが、GoogleのLLM(大規模言語モデル)のための無償の原材料として扱われる、とも批判しています。

LLMは、たくさんの文章を学習してそれっぽい文章を生成する仕組みです。
この説明だけ聞くと「便利な技術」で終わりそうですが、著者はここに明確な倫理的問題を見ています。
つまり、
という構図です。
これはかなり“しんどい”話です。
個人的には、ここは感情論だけで片づけられないと思います。技術の進歩そのものを否定するのではなく、誰が得をして、誰がただ利用される側になるのかを見ないといけないからです。

著者は次の段階として、Googleや同種の企業が、Webを悪く見せる言葉を広めるのではないか、と予測しています。
たとえば「Dark Web」のように、Webの一部を“危険で汚いもの”と印象づけて、自分たちの抽象層を「安全なWeb」として売る、という見立てです。
これはまだ予測なので断定はできません。
ただ、プラットフォームが自分に都合のいい場所へ人を誘導するために、外側を“不安なもの”として扱うのは、わりとよくある話です。
この点は、かなりメタバースっぽい、と著者は言っています。
ここでのメタバースは流行語の意味というより、オープンな標準ではなく、ひとつの企業が入口からルールまで握る閉じた空間というニュアンスです。
たしかに、Webの上にそんな層が乗るなら、それはもう“Web”というより巨大な囲い込みサービスです。

著者はかなり現実的に、でも強めにこう呼びかけています。

これを著者は De-googlifying your mental apparatus、つまり頭の中のGoogle依存を外していくことだと言っています。
表現は強烈ですが、言いたいことはわかります。検索、ブラウザ、メール、動画……気づけばGoogleのサービスが生活の入口をほぼ独占している。これは本当に強いです。
ただし、ここで「じゃあ明日から完全にGoogleを捨てよう」と言うのは、たぶん現実的ではありません。
私もそこは少し慎重に見ています。代替手段はあるけれど、移行は簡単じゃない。人は便利さにすぐ戻るからです。
それでも、著者の主張には説得力があります。
せめて選択肢を持つこと、ひとつの会社に情報アクセスを預けすぎないこと。これはかなり大事です。

記事のコメント欄には、
といった、かなり幅広い反応が並んでいます。
このへんが面白いところで、Googleへの見方は一枚岩ではないんですよね。
「創作者の搾取だ」と怒る人もいれば、「検索は便利なんだから当然の進化だ」と受け止める人もいる。
実際、どちらの言い分にも一理あります。
ただ、私はこの記事の問題提起はかなり重要だと思います。
なぜなら、便利さの裏でWebが“読みに行く場所”から“答えを受け取る箱”に変わるなら、インターネットの性格そのものが変わってしまうからです。

この元記事が言っているのは、単なる「GoogleのAI検索が気に入らない」という話ではありません。
もっと大きく、Webの入口を誰が握るのかという話です。
Googleが検索をAI要約中心に寄せれば寄せるほど、私たちは元のサイトへ行かなくなる。
すると、情報の流れはリンクで開かれたWebから、Googleが整形した“答えの画面”へ移る。
著者はそれを、かなりはっきりとWebへの攻撃だと見ています。
この見方が100%正しいかどうかは、今後の展開を見ないとわかりません。
でも少なくとも、「便利だから」で流してしまうには大きすぎる変化なのは確かです。

個人的には、Webって本来「答え」より「発見」の場所だったと思うんです。
検索して、いろんな人のページを読んで、たまたま面白い考えに出会う。その寄り道こそがWebの醍醐味でした。
GoogleのAI要約がその寄り道をどんどん省略してしまうなら、それは効率化というより、ちょっと味気ない世界への近道なのではないか——そんなふうに感じました。